ポー、パワーズ、ミルハウザー、ダイベック、トウェイン、エリクソン、などなど、ぼくの好きな作家の作品を論じている論文集。というか、柴田先生を通じてアメリカ文学を知った訳だから、好きな作家ばかりなのは当たり前である。
平石貴樹先生によれば、柴田先生は日本で一番英語文学を読んでいる人、とのこと。読んでいればえらいというわけではないが、やはりこういう一冊を読むとその造詣の深さがよく分かる。
本書では、アメリカ文学の中の代表作をピックアップして、そこにあらわれる自己愛(または自己嫌悪)について語っている。ホイットマンのような人間賛美=自己讃美から、ポーやメルヴィルのような自己否定まで、現れ方は異なるが、基本的にアメリカ文学はこれまで自分というものに過度に頓着してきた。要は自意識過剰であった。なぜか。ひとつには、結局、アメリカという国は、永遠に達成されない理想を抱いて誕生した国だからだという。
<極端に言うなら、アメリカにおいて、現実とはアメリカの半分でしかない。あとの半分は、いまだ達成されていない理想である。半分は夢でできた国なのだ。『ここは自由の国なのだ』とアメリカの人々が言うとき、僕にはそれは事実の表明には聞こえない。むしろ、『自由の国であるはずだ』という理想の表明に聞こえる。むろん、この言葉の理念が歪められ、独善的に使われたりすることもある。だがその本来の理念が、アメリカという国を作り、変えていく上で大きな力になってきたことは確かだ。> (あとがき)
「アメリカ」は「アメリカ人」でもある。アメリカ人は、いつも未完成なのである。トマス・サトペン、エイハブ船長、ミルハウザー作品のパラノイア達、、、、みんな、何か満たされない理想と自意識を抱えている。もちろん、そのなんともいえないもんもんとしたエネルギーが、アメリカ文学の魅力なのである。
柴田先生の本を読むといつももやもやとしてたことが分かったような気がしてすっきりします。
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アメリカン・ナルシス: メルヴィルからミルハウザーまで (アメリカ太平洋研究叢書) 単行本 – 2005/5/1
柴田 元幸
(著)
第27回(2005年) サントリー学芸賞・芸術・文学部門受賞
- 本の長さ233ページ
- 言語日本語
- 出版社東京大学出版会
- 発売日2005/5/1
- ISBN-10413080104X
- ISBN-13978-4130801041
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登録情報
- 出版社 : 東京大学出版会 (2005/5/1)
- 発売日 : 2005/5/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 233ページ
- ISBN-10 : 413080104X
- ISBN-13 : 978-4130801041
- Amazon 売れ筋ランキング: - 659,126位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 6,311位英米文学研究
- カスタマーレビュー:
著者について
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1954年生まれ。大学教師、翻訳家 (「BOOK著者紹介情報」より:本データは『モンキービジネス 2010』(ISBN-10:4863322828) が刊行された当時に掲載されていたものです)
カスタマーレビュー
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2008年2月27日に日本でレビュー済み
本書は柴田氏が、東京学芸大学に勤務されていた頃からの論文をテーマ別に並べ替えたものです。氏が、「アメリカ文学」をどうとらえているかを知る歴史的変遷を一望できます。
「ナルシス」とは、いわゆるナルシストの意味ですが、本書では「空虚を幻視すること」の意味が根底にあります。自己を空虚にすること。その空虚さが「アメリカ文学」の通奏低音にある、というのがテーマです。
しかし幻視する対象は外部にも向かうし、自己の無意識にも向う。幻視をタテ軸とすれば、向かう対象がヨコ軸です。いわばその方程式を探ろうとするのが本書だともいえるでしょう。
『柴田商店』の「私の英文修行」のなかで、高校生時代、友人が借りた自分の和訳ノートを、教師に当てられたその友人が読んで、見事な訳し方をほめられる、という一節があります。
このとき筆者は自身を「空虚な」存在として認識し、描かれています。そこに、小生は、柴田氏の世界に対する基本的な態度、ある意味で人格、を読み取ります。
そして、その基本的な態度こそが,氏のとらえる「アメリカ文学」そのものではなかろうかと思います。
対象を客観的に語ろうとすればするほど、人は自己をそこに投影するものです。
柴田氏の翻訳された書籍を愛読されている方や、翻訳のコツを氏から学びとろうとされている方は、ぜひ、本書に表れている氏の人間性に触れられるべきです。
「ナルシス」とは、いわゆるナルシストの意味ですが、本書では「空虚を幻視すること」の意味が根底にあります。自己を空虚にすること。その空虚さが「アメリカ文学」の通奏低音にある、というのがテーマです。
しかし幻視する対象は外部にも向かうし、自己の無意識にも向う。幻視をタテ軸とすれば、向かう対象がヨコ軸です。いわばその方程式を探ろうとするのが本書だともいえるでしょう。
『柴田商店』の「私の英文修行」のなかで、高校生時代、友人が借りた自分の和訳ノートを、教師に当てられたその友人が読んで、見事な訳し方をほめられる、という一節があります。
このとき筆者は自身を「空虚な」存在として認識し、描かれています。そこに、小生は、柴田氏の世界に対する基本的な態度、ある意味で人格、を読み取ります。
そして、その基本的な態度こそが,氏のとらえる「アメリカ文学」そのものではなかろうかと思います。
対象を客観的に語ろうとすればするほど、人は自己をそこに投影するものです。
柴田氏の翻訳された書籍を愛読されている方や、翻訳のコツを氏から学びとろうとされている方は、ぜひ、本書に表れている氏の人間性に触れられるべきです。